竹下時雨の肝硬変闘病記、そしてネットで稼ぐ情報を皆さんへ

肝硬変と戦う30代男の闘病記。そして身体を酷使しないためのインターネットビジネスに関する有力情報を皆さんへ発信するブログです。

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願い

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両親は僕が生まれたときに何を願ったんだろう。

 

「健康で元気な子に育ってほしい」

 

欲のない両親はきっとそう願ったと思う。
実際に小さい頃に父親が「元気でさえいてくれたらそれでいい」と
ビールを飲みながら言っていた。

 

願いと欲は紙一重だったり、結構なパーセンテージでイコールだったりする。

 

けど自分の子供に対して「健康で元気な」と願うことは欲張りですか?
何の見返りも求めず、ただ純粋に心から願ったと思うんです。

 

一年くらい前だろうか。
実家で父親と二人で飲んでいるときに

 

「僕はいつ死んでもいい。だからそのときは必要以上に悲しまなくていいよ」

 

と言ったことがある。

 
親に言うには不謹慎な内容だが
人なんていつ死ぬか分からないじゃないですか。

 

事故に遭うかもしれないし事件に巻き込まれるかもしれない。
何かの拍子や原因が元で突然死するかもしれない。

 

当然、父親は「そんなこと言うもんじゃない」と怒り気味だったが

 

「もう、一生分の幸せを皆に貰ったからさ。一生分以上かも。だから悔いはないんだよ。もちろん死ぬ気はないけど」

 

と言ったら

 

「そうか・・・」

 

と少し笑った。

 

本心だった。
本当にいつ死んでもいいと思っていた。
周りを取り巻くいろんな人達から数え切れないくらいの幸せを貰った。
貰い続けた。

 

そりゃ嫌なこともあったけど
それくらいじゃないと幸せ過ぎてバチが当たるような気がした。

 

でも、、、

それは大きな間違いだった。

 

肝硬変という病気になり『死』というものが
現実的に目の前に現れたとき
沢山の幸せを貰ったからいつ死んでもいいなんて大間違いだと気付いた。

 

逆だった。

 

『幸せを貰った分、みんなに返すまで死ねない』

 

そう思った。


自分の事しか考えていなかったんだ。

 

その思いが今の本心であり僕の願いであり生きる意味だ。
返し終わるまでは死ねない。
死にたくないと思うようになった。

 

もしも願いが叶うなら
一つだけ叶うなら

 

『健康な体に戻してください』
と願うか
『命と引き換えに必ず皆を幸せにしてください』
と願うか

 

後者なんだ。

 

十代のころだったら思いもしなかっただろうけど。

 

・・・ていうか健康な体に戻ったら
それはそれで皆に返せるんだよな、、、うん。